私は現在、占い師として活動しています。
心の中の違和感や、これからの生き方に悩む方に寄り添いながら、星やカードを通して「自分を理解する時間」をお届けしています。
昨年の4月、母が旅立ちました。
父は20年ほど前に脳梗塞で倒れ、不自由な体を抱えながらも、母の支えのもとで日常を送ってきました。
ふたりは本当に仲の良いおしどり夫婦でした。
だからこそ、母が先に旅立つとは、誰も想像していなかったのです。
あの日から、私の中で、何かが大きく動き始めました。
父の人柄と、私の原点
父と母は、どちらも福井の田舎の出身です。
母の口癖は「うちら田舎者やから」。
でも郷土愛が強くて、「福井の人間に悪い人はいない!」とよく笑っていました。
父はエネルギーとアイデアにあふれ、いくつもの事業を立ち上げてきた人です。
人を傷つけずに断ることができる不思議な感覚を持ち、
「この人」と決めた相手は、どんな状況でも助ける。
今思えば、その“間合い”や“直感”に、私はずっと惹かれていたのかもしれません。
でも同時に、「女は家にいろ」という価値観も持っていました。
私は、にぎやかな人の出入りが絶えない家で育ちました。
流れるように過ぎていく毎日の中で、
「お母さんになりたい」と夢見ていた、静かな願いも覚えています。
会社勤めと、父の背中の意味
やがて私は会社勤めを始め、世の中の仕組みを一つずつ学んでいきました。
ボーナスの存在を知ったのも、その時が初めてでした。
「働くってこういうことなんだ」と、体で理解していった日々でした。
父は人前で成功を語ることはありませんでした。
「目立たず、控えめに」「でも愛想は忘れるなよ」――
そのバランス感覚は、今でも私の中に生きています。
父の“占い師”との出会いと、私の今
父には、年に数回ふらりと訪れる「占い師」のような人がいました。
まるでお坊さんのようで、静かで、でもどこか温かい存在。
孤独な経営の時代に、父の心の支えだったのでしょう。
その方が姿を見せなくなっても、父は今も言います。
「あの人は神様やったなぁ」と。
だから私が占いを学びはじめたとき、
父はどこか納得しているような表情をしていました。
商売は楽しい――その言葉の奥に
自由と責任が背中合わせの仕事の中で、
私がふと思い出すのは、父のこの一言です。
「商売はな、楽しくて仕方なかったんや」
結果が出ていたからこそ言える言葉かもしれません。
でもきっと、それだけじゃない。
自分の仕事を、心から楽しむ「覚悟」と「工夫」があったんだと、今は思います。
父と私、それぞれの道の中で
小さい頃、本当は一緒に何かをしたかったのかもしれません。
でも「女の子だから」と、自分に無意識の枠をかけていたのだと思います。
今、父と過ごす時間はとても貴重です。
母がいなくなってから、父はすっかり弱気になりました。
それでも一緒に外食するときはおしゃれをして、
ちょっと照れながらも嬉しそうにしている父の姿に、心があたたかくなります。
そして、ふとスイッチが入ったように、
目を輝かせながら昔の商売の話を始める父――
「ああ、これが父の生きがいだったんだな」と感じます。
「心の土台」に寄り添う仕事として
立場も時代も違うけれど、
「誰かを支える責任」や「決断の孤独」に、私と父の共通点を感じることがあります。
だから私は、同じように責任を抱えながら働く方々に、
少しでも心が楽になるような、
「楽しく、楽に」仕事と向き合えるようなサポートを届けたいと思っています。
星とともに、自分に戻る時間を
私自身、ホロスコープを通して
「どう動きたいか」「どう関わりたいか」といった傾向がわかってきたとき、
ふっと心が軽くなりました。
占星術は、未来を決めるものではなく、
自分自身の軸を見つけていく“地図”のような存在です。
その人が持っている感性――“心地よさ”や“選び方”が合っていないと、
人間関係でも仕事でも、どこかしんどくなる。
だから私は、まずはその「土台」を一緒に見つけるところから始めます。
おわりに:小さな感度を思い出すセッションを
最近、「何が好きなのか分からなくなってきた」
「頑張ってるのに、心が満たされない」
そんな声をよく耳にします。
それは、あなたの中にある“心のセンサー”がちょっと疲れているサインかもしれません。
そんな感覚を、そっと整えるような単発セッションを、今準備しています。
難しいことはしません。
自分の“好き”や“心地よさ”を、ただ思い出すような時間です。
必要な方に、届きますように。
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